水色の毎日

日記と読書

天気が良いから散歩をする

 天気が良いから散歩をする。

 そんな簡単なことさえ、働いているときは難しかった。

 

 働いているとき、私は毎朝満員電車に乗って出勤し、日中はオフィスに閉じ込められ、外が暗くなってから家に帰った。

 休みの日は平日にやれなかったことに追われるのでやっぱり忙しい。ストレス発散だって一度にたくさんはできないから、優先順位の高い娯楽から手をつける。高価で、密度の高いやつから。

 

 今の私が散歩をするのは単に時間を持て余しているからだ。収入も途絶えた今、お金のかかる趣味は持てない。だが一日中家にいるのは体によくない。だから始めたのが散歩だった。

 

 私の家の近くには川が流れている。川辺は桜並木になっていて春にはちょっとした賑わいになるのだが、今は葉も落ちて黒々とした幹だけが並んでいる。川沿いに歩くと図書館があるので、そこで本を読むのが今の私の日課である。

 

 この生活圏内で目撃するのは、定年退職後の老人か、ベビーカーを押しているか子供の手をひいて歩く母親くらいである。私が働いていた頃、私の視界から悉く排除されていた存在たちが、ここではマジョリティである。

 

 私のこれまでの生活圏は多様性がなかった。いるのは働き盛りの男で、妻が非正規雇用のものたちばかり。たまにいる女は、家庭がないか、極めて優秀な存在だった。

 

 どちらが本当の世界の姿なのだろう。どっちもかもしれないが、こんなに分断されている世界を目の当たりにすると、自分の立ち位置が揺らいでしまう。戻るべきか、ここに居続けるべきか。私はどちらに身を置くべきか悩んでいる。

 

 今日も散歩をする。働いていた時は考えもしなかった娯楽だが、今はこれで十分だ。川のせせらぎ、木々の匂い、肌を焼く日差し。生きていることが実感できれば本当はなんだって良かったんだ。

 今日も読んでくれてありがとう。